「松江の地名の由来は何ですか?」 | |||||
佐和田 丸 | |||||
松江観光大使を抑せつかっている私は、時折、
松江の地名由来を聞かれることがある。わかり
ません、知りません、とも言えず、私なりにし
らべてみた。巷間よく知られているのは、下記の諸説である。
(一)『懐橘談』『雲陽誌』という江戸期の 地誌によるもので、松江城を築いた堀尾吉晴 が、松江の風景が湖面に美しく映え、鱸(すずき)や蓴菜(じゅんさい)を産するところが中国 浙江省の淞江府(ずんこうふ)似ているとして命名したという説。 (二)新井白石の著『紳書』によると、堀 尾氏の家臣で松江城の縄張工事にあたった小 瀬甫庵(おぜほあん)が「鱸の名所也」として命名したという説。 (三)『雲陽大数録』では圓成寺(堀尾氏三 代の廟所)開山春龍和尚の命名とし、「唐土ノ 松江、鱸魚卜蓴菜卜有ルカ故名産トス、今城 府モ其スンコウニ似タレバ、松江卜称ス 云々」と記されているという説。 そして、昭和53 年(1978)には、島根大学の 入谷仙介教授も地元新聞に、命名に苦心して いた堀尾吉晴が、渡明の経験のある春龍和尚 の進言もあって「松江」を採用したのではな いかという推論を発表されたりしていた。 以上の諸説はいずれも、開府後の中国伝来説といってよい。そして、これらは観光誌な どで、盛んに利用喧伝されてきた。
平成10(1998)年7 月、和歌山毒物カレー事 件が発生した。読者もご記憶の方もおありと 思うが、地区で行われた夏祭りにおいて提供 されたカレーライスに毒物が混入され、67 人 が急性ヒ素中毒になり、うち4人が死亡した 事件で、犯行現場からほど近いところに、「松江」地区がある。 「松江地区」があると知り、角川地名辞典 で調べてみたら、昔は松林に囲まれた美しい 入江で、名前もそれに由来し、今は埋め立て られ広大な日本製鉄和歌山製鉄所となってい る、とあった。 私はその時、和歌山でそうなら、古代からの 人間の営みの盛んなわが「松江地帯」にも、昔 ~ 16 ~ から「松林に囲まれた入江」があって、開府以前から「松江」と呼ばれていたとも考えられる。 昔の人は、単純にまわりの自然に合わせて命名 してきた。田の中に家があったから「田中」。 木の下に家があったから「木下」など。 松江の場合も、和歌山松江と同様に、中国伝来や、他地域の旅人が命名したのではなく、周りの自然にあわせて、当時の住民が名付けたのではなかろうか。 |
|||||
|
|||||
投稿一覧に戻る | トップページへ |