桜もち地図 島根県は関東風の飛び地!? 佐和田
佐和田 丸
 今年も、多くの皆さんが桜餅を楽しまれたことと思います。
 皆さんが関西に住むようになって、初めて「桜餅」を食べたとき、郷里で食べた桜餅との違いに気付き、それが「関西風」だと知って、郷里も西日本なのに何故違っていたのだろうと不思議に思われたことはないでしょうか。

桜餅は、大きく分けて2種類あり、東日本は、関東風長明寺、西日本は関西風道明寺というのが一般的です。(※下図)
桜餅

 

<東西桜餅の対比>
左側 長命寺(関東風)
右側 道明寺(関西風)

松江観光協会HPより
  ※製法:長命寺 水溶きした小麦粉をクレープ状に焼いた皮で餡を巻く
      道明寺 道明寺粉(水に浸した餅米を干して粗めにひいたもの)を 蒸した生地で餡を包む


 実は、普通ならば、関西風であるはずの島根県は、なぜか関東風が主流で飛び地になっているのです。(※下図「桜餅の全国分布図」)
桜餅地図 Weathernews HPより
2015年調査

 なお、2018年の調査によれば、「長命寺」主流の都道府県でもほとんどが「道明寺」と半々になっているそうです。
 松江の知人に聞きましたが、松江では桜餅と言えば長命寺のことを指し、「道明寺」は「道明寺」と呼んでいるそうです。
 ウィキぺディアによれば、関東の桜餅は享保二年(1717)に長命寺の門番が隅田川の桜の落ち葉を醤油樽で塩漬けにし餅に巻いて売り出したのが始まりとされ、関西では、長命寺餅の人気にならって、大坂北堀江の土佐屋に天保年間(1830〜1844)に現れたとあります。

 なぜ、島根県は関東風かと長い間、怪訝に思っておりましたが、調べてみますと、「出雲新風土記」(太田直行著)に、明治の初め(1868~)に、松江藩元家老有沢宗閑が藩の御用菓子司であった面高屋に隅田川堤の桜餅のことを話し、それをヒントにつくったのが松江での桜餅の始まりとありました。
 廃藩により糊口の道を失った面高屋は、有沢宗閑が菅田の山荘を開放した際に観桜ににぎわう客に桜餅を売り、明治23年(1890)頃には城山に茶店(友松庵)を開き売り出して「城山の桜餅」として長く人気を博しましたが、これが島根県に関東風桜餅が定着した原因だったと思われます。

 松江城山の桜餅屋と言えば、なつかしく思い出される方も多いことでしょう。第7代藩主、松平不昧公(1751~1818)が、山川、若草など松江に江戸風和菓子(文化)の土壌を定着させていたことも関係しているのかもしれません。
 桜餅は、長明寺風、道明寺風の区別だけでなく、材料、つくり方、見た目、その歴史など、日本全国さまざまに異なり、地域ごと、菓子舗ごとの工夫もなされていて興味が尽きないことと思われますが、皆様も一度、調べて見られればいかがでしょうか?

 (なお、この原稿の作成にあたっては、押田良樹様、松本耕司様から資料の提供や助言をいただきました。)   

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