松江を語るとき、小泉八雲を抜きにしては語れないほどその結びつきは広く知られています。しかし、八雲が神戸に住んでいたことはあまり知られていないのではないでしょうか。 八雲は、松江に1年3か月、熊本に3年、神戸に2年居住しました。松江よりも長く神戸に住んでいたにもかかわらず、あまり語られることがないのは、観光資源が豊富な神戸では、短期間住んでいた一作家が注目されることはないからでしょうか。 八雲は、1849年(明治27年)44歳の時に、熊本から神戸に移り、英字新聞「神戸クロニクル社」に記者として赴任します。そして、神戸市中央区下山手通~中山手通の3か所に居住します。子供の時に怪我で左目を失明し、視力の弱い右目だけで視ていましたが、その右目をこの地で患い、治療を受け、苦しい時期を過ごしたようです。「神戸クロニクル社」を辞め、執筆活動に専念します。 この時期に日本への帰化を果たし、1896年(明治29年)に東京へ移ります。 神戸での2番目の居住地、現在の「兵庫県立中央労働センター」の敷地内に「小泉八雲旧居跡」の記念碑が建っています。そして、労働センターの中に「小泉八雲コーナー」があります。 東京へ転居してから7年後の1903年(明治36年)に、54歳で亡くなります。 思えば、短期間で職を変わり、住まいもたびたび転居しています。おそらく恵まれた環境にはなく、苦労の多い人生だったであろうと想像します。そのなかで、感性を研ぎ澄まし、数々の名作を残したことを思うと、その神秘的な人物像にますます惹きつけられるものがあります。 |
|||
2022年(令和4年)9月 鶴羽孝子 | |||
(写真をクリックすると拡大します) |
|||
「兵庫県立中央労働センター」 左手に記念碑があります。 神戸市中央区下山手通 6丁目 3-28【地図】 |
「小泉八雲旧居跡」 記念碑 |
小泉八雲と神戸との関わり が碑にとどめられています。 |
労働センターの建物に入ってすぐの所に「小泉八雲コーナー」があります。 |
<参考サイト> |
ひょうご労働図書館 小泉八雲と神戸 神戸・兵庫の郷土史Web研究館 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と神戸 |